万葉蹴鞠 -kemari-

■はじめに

1995年に倉井三郎元奈良県サッカー協会理事がワールドサッカーを追いかけていた賀川浩スポーツジャーナリストと「談山 神社けまり祭」に参詣した折、賀川氏が「日本における蹴鞠の始まりは「日本書紀」に記載されている皇極3年正月朔(ついたち)の法興寺(飛鳥寺とも呼ば れ、西暦596年に創建された日本最古の寺)の槻(けやき)の下で行われた「打鞠(うちまり)」であるとしているが現存する公家の蹴鞠とは異なるので、史 実に基づいた「けまり」を復元してはと提案し、「けまり」の研究で知られる渡邊融東大名誉教授を紹介された。1997年の談山神社けまり祭には渡邊氏、浅 見敏雄日本サッカー協会審判長、倉井氏、宮城治奈良県サッカー協会副会長、福嶋重博奈良県サッカー協会理事長がそろって参詣。祭典奉納後、川南勝談山神社 宮司を交えて懇談し、「古代けまり研究会」を立ち上げることになりました。「古代けまり研究会」は、中国・漢代の6人を1チームとするフットボール式の蹴 鞠を参考に京の蹴鞠を重ね合わせたイメージの競技性の高いルールを想定した蹴鞠の形を作り出しました。古代けまり研究会メンバーの福嶋氏は当フォーラムの 監事であり、2002年ワールドカップ日韓共催を控えて盛り上がっている日本サッカーのルーツである法興寺の打鞠の推作・復元を当フォーラムの事業とする ことを提案。古代けまり研究会を発展的に解消するとともに、新たに猪熊兼勝京都橘女子大教授など数名を加え、「蹴鞠製作委員会」を発足させました。渡辺融 東京大学名誉教授、スポーツジャーナリスト賀川浩氏から競技面で、時代考証および 風俗考証については猪熊兼勝京都橘女子大教授から示唆・指導を得て、「万葉けまり」として再現しました。

 

■蹴鞠について

頭には鳥打帽をかぶって「アリー」・「ヤー」・「オウ」などの掛け声をかけ、鞠を蹴り上げている「蹴鞠」の光景を目にした人も多いのではないでしょうか
この蹴鞠は京都にある蹴鞠保存会の皆さんが演じられているものです。この蹴鞠は平安時代中頃以降の古文書で見られます。宮中で天皇・貴族が催した鞠会は、 鎌倉時代には上級武士の間で盛んになり、江戸時代には一般庶民に普及しました。そして一旦途絶えましたが明治維新になって、明治天皇の御下賜金により保存 会が結成され、復活したものが京都の「蹴鞠」です。
しかしながら、平安中期より200有余年さかのぼる西暦644年(飛鳥時代)の日本書紀に「蹴鞠」についての記述が存在します。日本書紀の皇極三年(西暦 644年)正月朔に法興寺の広場で「打毬」の最中に中大兄皇子の靴が脱げ、中臣鎌足が拾い上げたことで二人が急激に親しくなり、蘇我氏打倒の計画を練り、 大化改新へ進むエピソードは有名です。
日本書紀に記述されている蹴鞠は京の「蹴鞠」のルーツであり、文献上わが国最古のサッカーとされているものです。
平成17年1月3日放映のNHK古代史ドラマスペシャル「大化改新」でも蹴鞠シーンが放映されました。
飛鳥時代の蹴鞠は「打毬中に靴が脱げた」という記述から数人が一団となり、両団が相対して、鞠をける競技と解釈でき、当時の蹴鞠の服装は平安時代の狩衣に比べて活動的なものであり、蹴鞠も激しい競技だったと考えられています。
蹴鞠はわが国のサッカーのルーツとしてサッカーの母国イングランドのサッカーミュージアムで紹介されています。
日本書紀に記述されている「打毬」について二つの解釈があります。
一つは騎馬で曲杖を使って毬を打つポロ風の遊戯。
(史記などの古文書、藤原氏家伝では、蹴鞠をいうとなっています。)
他は、数人が一団となり、両団が相対して、鞠を蹴る競技。
当フォーラムは後者の説をとっています。

 

■競技規則

1.鞠場(コート)

◆左右コートの大きさ:8m×9m、中央コートの大きさ:4m×9m。
◆コートの四隅に懸(かけ)の木(2m以上の高さの竹)を立て、2mの高さに縄を張って、コートを仕切る。
◆相対する競技者(鞠足)は6名とし、左右コートに5名づつ、中央に左右コートから1名づつ送る。
◆中央ラインの外側に待機する1名は場外に出た鞠を拾ったり、味方の中央の競技者に鞠を渡す。交代要員でもある。


2.鞠

ball[1]111◆談山神社に奉納された鞠。

鞠は鹿の皮を二枚円形にして用い、その毛のある方を内側にして継ぎ目の周りを馬の皮で縫い合わせたもの。
成形は小穴より大麦の殻粒を詰め込んで内側から膨らませ、その後鉛白にて化粧し、殻粒を抜いてから小穴を塞いだ。
藤原鎌足公がけまりを通して中大兄皇子と親密になり、大化の改新につながることから談山神社では毎年四月二十九日と一月三日に「けまり祭」を催し、蹴鞠保存会(京都)により奉納している。


3.復元された鞠
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4.審判員
◆3名で構成され、中央の主審は太鼓、左右の副審は鉦(かね)を持つ。
◆主審の太鼓の合図で競技が始まり、太鼓の合図で競技が終わる。
◆主審は競技の進行と計時を担当する。
◆点が入るとき、点を取った側の副審がシュートが正しく行われたかを審判し、鉦(どら)を鳴らす。5.主な規則
◆双方のコートに5名の競技者が入り、中央コートの競技者の一人が中央コートの中央から鞠を味方のコートに蹴りこんで(シュート)、競技が始まる。
◆蹴りこまれた鞠を落とさないように、リフティング(手以外足または頭で受け、鞠をあげる)で受け、二回以上続いたら相手のコートに蹴りこむ。攻防の最中 に中央コートに鞠が入ったときは、地面に落ちるまでに中央コートのそれぞれの競技者が味方のコートに鞠を返すことができる。
◆自陣のコートに鞠を落としたとき、コート外に鞠が出たとき、失点になる。
◆一人の競技者がリフティングできる限度は三回とする。
◆どちらかが5点を先取したときコートチェングとなり、試合を再開、10点先取したチームがこのセットの勝者となる。セット数は試合前に両者で決める。

■ユニフォーム

大化の改新前後の大宮人がどのような服装で蹴鞠をしていたかは資料がほとんどないもの の、その点をはっきりさせることが「万葉けまり」復元の決め手になります。この点を踏まえ当時の服飾史に詳しい猪熊京都橘大学名誉教授に相談した結果、奈 良の中宮寺に残る国宝「天寿国曼荼羅繍帳」に描かれている人物像が参考になるとして、自らデザインを決めていただきました。服装は、復元平城宮の景観に相 応しく、天平装束の華やかな「胡服」を着た筒袖の役人姿、活動しやすく袖は短めにしました。ヘディングがありますので、冠や撲頭(ぼくとう)と呼ぶ帽子は 省略しています。
京の「蹴鞠」の衣装とは違い、胡服の影響の強い活動的なユニフォームの誕生となり、その色彩について当時の「蹴鞠」は着る人の身分よって違ったようですが、教授は仁・礼・信という上位のものを選ばれ、選手を喜ばせる趣向を凝らされています。
◆ユニフォームデザインの際参考にした天寿国曼荼羅繍帳の人物像
赤衣の男子 紺衣の男子 天寿国曼荼羅帳(中宮寺)
mandara mandarablue 上中下三段さらに左右に区切った六区の中に蓮台上の上の仏・神将像のほか、僧俗人物が多数繍いあらわされている。それらの人物の表現には色彩鮮明にして人物の着衣のさまがよくわかるところと、いかにも古びて変退色し、細部も明瞭でない部分がある。青衣は曼荼羅繍帳のままの断片であり、赤衣は鎌倉時代になられた補修の部分、あるいはその時に作られた副本の一部と考えられる。いずれにしろ図様は飛鳥時代のままを写したものであり、飛鳥時代を知る上に貴重な史料である。
赤衣は拱手して立つ男子の立像である。
◆復元されたユニフォーム
復元された衣装(飛鳥風) 復元された衣装(天平風)
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■競技風景

◆黄色と赤色の2チームが試合をします

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◆両チームが試合会場に入場します

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◆ 両チームが真ん中に張られた紐を隔てて相対します

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■活動の記録

 年 度  活動内容  備 考
平成30年(2018) 春日大社境内での「万葉蹴鞠の宴」の再現・第1回万葉蹴鞠カップ開催 万葉蹴鞠カップ実施要項
平成29年(2017) 春日大社境内での「万葉蹴鞠の宴」の再現
平成28年(2016) 春日大社御造替奉祝行事「万葉蹴鞠の宴」の再現
 平成27年
(2015)
 春日大社御造替奉祝行事「万葉蹴鞠の宴」の再現 2016年会報新春号参照2015年会報夏号参照
平成26年
(2014)
平成25年
(2013)
5月4日「平城京天平祭」に古代行事として大極殿前庭で披露1月13日静岡県藤枝市で行われたお正月イベント「万葉けまり実演会」に参加

11月4日なにの宮跡で行われた「四天王寺ワッソ」プレステージに参加

2012年会報夏号参照2013年会報夏号参照

2014年会報新春号参照

 平成24年
(2012)
 平成23年
(2011)
 5 月1日平城宮跡で行われた天平祭りに「蹴鞠今昔」のテーマで披露7月31日長居競技場で行われた東日本大震災復興支援「頑張ろう鹿嶋アントラーズ」で披露

10月29日京都府木津川市で行われた第26回国民文化祭・京都2011」に出演

2012年会報新春号参照
 平成22年
(2010)
3月28日「奈良県まるごと歴史体験博」しきフェ
ステバルにて披露8月28日大阪長居球場にて行われたJリーグ21節のゲームに先立ち披露10月17日光明皇后1250年遠忌法要の慶讃行事として東大寺大仏前庭にて披露

11月6日平城宮跡大極殿前庭で行われた1300年祭古代行事の再現「蹴鞠」に出演

2011年会報新年号参照
平成21年
(2009)
10月13日、11月1日平城1300年祭県民活動
支援事業として奈良公園登大路園地にて披露
平成20年
(2008)
平成19年
(2007)
11月5日四天王にワッソのプリイベントに参加 2007年会報新年号参照
平成18年
(2006)
11月4日四天王にワッソのプリイベントに参加
12月に感謝状をもらう
2006年会報第12号参照
平成17年
(2005)
1月NHK古代史ドラマ「大化の改新」の蹴鞠会のシーンに協力出演8月13日長居競技場で行われたアジアサッカーフェステバルに参加 2005年会報新年号参照2006年会報新年号参照
平成16年
(2004)
4月3日橿原神宮天皇祭(神武さん)奉祝行事に参加8月21日日韓交流フェステバルに参加

11月7日四天王にワッソに参加

2004年会報No.7参照2005年会報新年号参照
2005年会報第2号2005年会報新年号参照
平成15年
(2003)
平成14年
(2002)
競技規則を承認し、ユニホームを作成し、蹴鞠委員会は閉会。5月4日談山神社に奉納し、報道関係者に公開

6月5日神戸市で行われた日韓ワールドカップイベントに参加

11月9日大仏開眼1250年に大仏殿北庭にて、奉納した

2002年会報No.4参照
平成13年
(2001)
蹴鞠制作員会発足